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前向きに Jazz!

日々進化し続けるJazzとともに歩んできた終わりのない旅

Sort by 09 2010

Category: piano (第3期)  

Cubicq / Alessandro Galati Trio



Alessandro Galati (p)
Ares Tavolazzi (b)
Emanuele Maniscalco (ds)
Recorded December 2005 at SONY Music Syudios Tokyo BG003(BG)

先日来日した、イタリアは、フィレンツェ生まれのピアニストAlessandro Galati(B1966)
に関し、私は、新しいピアニスト開拓の過程で彼のアルバムの購入歴もあるのですが、良い
ピアニストであることは、認めつつも、求める美の違いから、彼のピアノにのめり込んだ
ことはなく、今回記事とした本作、そしてピアニスト Galatiに関し、自分の中での評価が、
いまいち定まらないというピアニストの一人でもありました。
そんな折、彼の来日を知り、それを確かめる絶好の機会ということで、彼の生を確認しに行
ってまいりました。

9月19日、武蔵野スウィングホール、Galatiのソロ・コンサートです。
今回のGalatiジャパン・ツァーでは、トリオという選択肢もありましたが、目的を
「Galatiの確認」とする私は、ソロの方を選択しました。
連休中の1日ということで、ありがたいことに、行く私にとっても好都合な日でした。
Jazz Liveには、めずらしい、日曜日の昼下がりという時間帯、ここは、200人も入らない
小さなホール、階段教室状のつくりでステージは、非常に見やすくなっています。
今回の席は、至近距離でしかも手の動きも確認できるという絶好の位置関係ということで
あとは主役の登場を待つのみです。
いつものLiveとは違い、無になって彼の音を受け止めてみようと思い臨んだソロコンです。
それまでの彼のイメージは、全てリセットし、まっさらの心のキャンバスも用意し準備OK
です。
Galatiの登場とともに、照明は落ちスポットへ、1曲目のスタートで、それまでのCDから
受けていた負のイメージは、吹っ飛んでしまいました。繊細でありながらも力強く、メリ
ハリの効いたピアノは、良く唱っており、スタインウェイも良き主を得て、驚くほどきれ
いに鳴っています。
さて、それまで抱いていた負のイメージとは何か、一言で言ってしまえば「過度の甘さ」と
でも言ったらよいのでしょうか、それとともに繊細な反面、力感に欠けるといった多少の
ひっかかりを持っていたのです。その部分において、この "Cubicq" から5年の月日の経過と
ともに、トリオではなくソロというフォーマットということも関係しているのでしょうか、
それまでの負の部分は、改善され、リニューアルされたGalatiを見ることができました。
前述した、「過度の甘さ」という部分についても、今回のソロでも至る所にちりばめられた、
それは彼のイタリア人として持って生まれた、自然発生的に出て来る「哀愁」の表現として
受け止められるレベルになっており、納得できるものでした。「力感」についても、過去多
くのピアニストを生で見てきましたが、その中にあっても、むしろ強さを感じさせるものが
あり、指を立てての打鍵などでは、突き指しないかと心配になるほどのものがありました。
強弱のメリハリをもって、しなやかな打鍵から紡ぎだされる音楽は、彼自身の中に描く美の
世界を見事に表現しきっていると感じられるピアノ・ソロであったと思います。
そして、小ホールのメリットでしょうか、マイクで拾う音は、バランスをとるためのわずか
な部分に限られ、ほとんどピアノ生音という、ピアノ・ソロを聴くにはこれ以上ないという
条件は、それを確認するのにベストの環境だったと言えるでしょう。
一言付け加えるなら、1,2部合わせて全10曲強だったと思いますが、全て、同じようなイメ
ージの曲なので、もう少し変化をつけ、違う面も見せてほしかった気がします。また、2部
冒頭では、アルバム"Cubicq"にも収められていたEvansでもおなじみのルグラン曲 "You
Must Believe in Spring" をモティーフとした曲が奏されましたが、CDのトリオによるもの
と比較すると、私には圧倒的に良いものとして受取れました。

そんな Alessandro Galati のピアニストとしてのすばらしさを、生でしっかり確認できた
非常に意義のあるコンサートでは、ありましたが、同時に、現在、私が捜し求めている美の
質とは違うものであることも、あらためて確認できたコンサートになりました。
その「美」の質の違いとは、どちらがよりすばらしいというようなものでもなく、全ては
受け手が持つ、感性によるところだと思います。
私が今求めている美とは、言ってみれば、元々ダーティーなもの、そのヨゴレを磨きに磨い
て出来上がった美(あるいはその過程で美を求め突き進んでいる過程の完成されてないもの
も含む)とでも言ったらよいのでしょうか、当然のことながら、元々汚れのないものから生
まれた美とは、同じ美でも、生まれの違いが微妙に影を落とし、そこに発散するものが違っ
てきます。この辺のところは、直感的、瞬間的に己の感性が判断する、ことばの及ばない世
界で、こうしてことばにすると、徐々にニュアンスの違うものになり、誤解の元になるので
この辺にしておきます。
現在、自分が求めているものには、忠実でありたい、とことんこだわりたい、それでこその
道楽であろうと思っています。

さて、時系列的には、まったく逆になってしまいましたが、この "Cubicq" に関して、今回
のソロコンにあたり、予習の意味で何度か聴いてみました。
だいぶ間を空けて聴くこともあり、印象が変わっていればとのかすかな期待も持っていたの
ですが、以前、聴いた時の印象を覆すには至りませんでした。
私の感性では、どうもその甘さが私的許容範囲を超えてしまい、そこでどうしても引っかか
ってしまうのです。
この辺の受取り方は、聴き手の感性により大きく分かれるところであると思います。どちら
が正解というようなものでもありません。全ては、何を美と感ずるか、聴き手の感性しだい
で評価も大きく変わるということでしょう。
そして、残念ながら、この2005年録音の "Cubicq" で描くGalatiの美の世界は、今の私が
捜しているそれとは、やはり違う質の美であったようです。

私は、出会ったことのない美を求め、そしてその出会いにより私自身の美の価値観も変化さ
せてきました。それは、今後出会うであろう未知の美により、これからも変化していくであ
ろうし、またそれを望んでの開拓でもあります。ですから5年後、10年後の私の美の基準も、
当然違ったものになっているのでしょう。
将来、私自身の美的価値観の変化により、あるいはGalati自身の美的価値観の変化により、
もしかしたら、Galatiの美が受け入れられる日が来ることもあるかもしれません。それは神
のみぞ知るということでしょうか。

最後に、もう一度、今回のAlessandro Galati のソロ・コンサートは、おそらく日本にも多
くいるであろう彼のファンにとっては、それを誇りと思えるほど、すばらしい内容であった
ことをお伝えしておきます。

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Alessandro Galati

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